Category: General
Posted by: Masamichi Sugi


シャケのようにさかのぼってジャケの話をします。
TDの最終日12月7日、この日までに全曲のTDを終わらせなくてはならない。
しかし、もうひとつタイムリミットがあった。アルバムジャケットだ。

今回のコンセプトは僕と土橋さんで方向性を決め、デザイナーの冨貫さんに伝えた。
冨貫さんはPiccadilly Circusの1枚目、『Pop Music』、『Love Mix』といい仕事をしてもらい、Piccadillyの2枚目ではあの素晴らしい見開きジャケットをデザインしてもらった。
その冨貫さんの薦めで今回はイラストをフジモトヒデトさんに依頼することになった。
しかし、この打ち合わせしたのが11月初旬、はたしてこの無理な日程で引き受けてくださるか、、、ダメもとでお願いした所、快諾していただいた。

そしてイラストの下書きが届いたのが11月29日。
鉛筆で3パターンのラフスケッチが描かれていて、うちひとつを表、ひとつを裏に使わせてもらうことにした。
「下界に見える街の中にチャペルとか描いてもらえたら嬉しいな」くらいの注文を出したまま、まだ一度もお会いしてないフジモトヒデトさんに託し、こっちは音を仕上げるのに必死だった。

そして12月7日、前日に仕上がってくるはずのジャッケットはまだスタジオには届かない。
まぁ無謀なスケジュールで描いてもらってるので仕方ないです。
当然もう直しとかやってる時間なんかないのだ。
深夜の3時過ぎTD完了、まだ来ましぇ〜ん。
でも音が仕上がって嬉しいから、どうにかなるに決まってると、楽観的。

自宅に着いた午前4時過ぎ、パソコンを開いてみたら、、、来てました!
うぉっ、メチャいいじゃないっすか!
ちょっとレトロ感もあり、それでいて新しい感じの色使い、筆のタッチ。
セスナに乗ってる大人と子供、あれは今の僕と昔の僕だろうか、それとも親父と僕、あるいは僕と息子だろうか、、、想像は勝手に広がる。
チャペルがあり、マイルドに流れる川があり、広い空があり、かすんだ街があり、驚くことに、どの曲のイメージとも繋がる。
表4の燃えるような夕焼け空は君に見せたくなる。
『魔法の領域』の字体も洒落ている。

おもわず冨貫さんにお礼のメールを書いた、まだお会いしていないフジモトヒデトさんにも「素晴らしい絵をありがとうございます」と伝えて下さいとも。

普通はこのスケジュールで、しかも人を介してのやり取りでこんなに上手くいくことは稀なのだ。

この日からずっと僕の携帯の待ち受け画面にはあのセスナが飛んでいる。

Category: General
Posted by: Masamichi Sugi



随分経ってしまったが、TDとマスタリングのことを書いておかなくてはレコーディングの記録にならないので数ヶ月ほどさかのぼります。

11月27日に最後の歌入れ、コーラスが終わって緊張の糸が切れたのか、その次の日から風邪で熱が出だした。
(実はこれを書いてる今もライブとライブの間で風邪をひいてるのだ)

11月28日にアーティスト写真の撮影が終わってから急に具合悪くなった。
30日にサエキけんぞうさんの中京テレビの番組のため名古屋に行った時がピークだった。

12月に入って都内のスタジオでTDが始まった時も、未だ本調子ではなかった。
なので初日、スタジオのそばに比較的大きな薬局があったので栄養ドリンクでも買って行こうかと思った。
入り口のところで“ユンケル”を見つけレジに持って行った。
レジにいた薬局の女の人はとても感じよくこう言った。
「お客様、ユンケルですね」
『はい』
「もしよろしければ、当店でお薦めしているこちらのドリンクお試しになりませんか?お値段は一緒でございます」
『あ〜、そうですか、じゃそれ下さい』
「ビタミン剤と一緒にこちらでお飲みになりますか?」
『ああ、じゃお願いします』
と、まあよく見かけるやりとりで僕はドリンクを飲みスタジオに向かった。

二日目、スタジオにいて最近肝臓が疲れ気味なことに気づいた。
こういう時僕は“ヘパリーゼ”という肝臓の薬の世話になる。
思い立って昨日の薬局に買いに行った。
レジの男性にさっそく告げた。
『ヘパリーゼ下さい』
「ヘパリーゼでございますね、何錠入りにいたしましょうか」
『中くらいの奴でいいです』
「あの〜お客様、当店ではヘパリーゼをお求めになるお客様にこちらの錠剤をお薦めしているんでございますよ」
『効くんですか?』
「はい、この薬をお薦めしたお客様から感謝状いただいたぐらいですから」
『ヘエ〜感謝状ねぇ、そこまで言うんだったらそれ下さい』
調子いいお兄さんだなとも思いながら、病も気からって言うから、まんざら悪い気分ではなかった。

三日目、TDは待ち時間も多い、よって余計な事も考える。
なんか、ビタミン不足のせいか口内炎が出来そうな気がする。
“チョコラBB”でも飲んどくか、と又性懲りもなく例の薬局に向かった。
さすがに今日は自分の意志を通すぞと、いつもより強い口調でレジの若い男の店員さんに言った。
『チョコラBB下さい』
「チョコラBBですね、こちらへどうぞ」
とビタミン剤のコーナーに案内された。
やっと思いどおりの展開と思いきや、若い店員さんが満面の笑みで
「チョコラBBは糖衣錠でございます、うちでお薦めしているこちらはでございますねぇ、糖衣錠ではないので消化がはやいんですよ。」
『速く効くんですか?』
「は〜い、ま、糖衣錠でない代わりにちょっと苦いんですが、水でガ〜流し込めば全然問題ありません」
昨日のお兄さんより調子いい人だ。しかし痛いところをつく。
しょうがないから買いましたよ、えらい苦い薬。

ここまで来るとその薬局の社員教育に畏敬の念さえ覚えてくる。
しかもどの店員も俺の事を親身になって考えてくれてる風。
ネットでの通販もいいが、こういう人と人とのふれ合いこそ大事にしたい。
もしかしたら俺、この薬局の思うつぼ?

TDの四日目、スタジオが続くと運動不足になり、肩がこって来る。
“バンテリン”だな、今俺に必要なのは。
すぐさま薬局に向かおうとする僕を見て、事の次第を知ってるスタッフが
「どうせ杉さん、又違うの買わされるに決まってるんだから、現場見に行っちゃおう」
と薬局について来た、こうなったら僕もやけくそだ。(何に?)
若い女性の店員さんに
『バンテリン下さい』と言うといつものようにニッコリ笑顔でコーナーまで案内された。
バンテリンが陳列してある横に見慣れぬパッケージのゲル剤が鎮座ましましている。
この時点で『わたしまけましたわ(逆から読んでも)』と観念した。
「当店でお薦めしているこのゲルは、肌への吸収が速いんです」
もちろん断る理由などどこにもない。

そんな訳で僕の健康を思いやってくれてる薬局との四日間は終わり、スタジオでドリンク剤以外の薬を並べてみんなに見せつけてやった。
意地悪い誰かが「それ、どっかの製薬会社とつるんでるじゃないですか?」
とチャチャを入れた。
恐る恐る発売元をチェックしてみたら、、、みんな同じ製薬会社だった。
いいいんんだも〜ん、ネタが出来たし。
しかし糖衣錠じゃない薬、苦いにもほどがある!

そのとおりでございます
 
Category: General
Posted by: Masamichi Sugi
3月14日は僕の誕生日である。
いくつになっても誕生日は嬉しいし、特別な日である。
そんな特別の日だから、今まで書かなかった大事な話をしよう。

去年の8月21日未明、僕の父が亡くなった。
父は5年前からアルツハイマー病で入院し、ここ数年は介護施設のお世話になっていた。
入院してすぐ僕が誰かも分からなくなってしまったが、それでも飄々(ひょうひょう)として穏やかな父のパーソナリティは変わらず、プチ仙人の様なキャラで周りを和ませていた。

この5年間、僕はことあるごとに福岡に戻り、父を訪ねその度、感謝と別れの言葉と気持ちは伝えて来た(伝わったかどうかは別として)。
であるから充分に心の準備は出来ていた。
しかし、それでもあまりに急だった。

8月20日、STBライブのリハが終わり夜自宅に戻って、父が肺炎をこじらせ亡くなったと母から連絡を受けた。
リハやらで連日忙しい日々が続いており、3日後にはライブのゲスト、その翌日はSTB本番、それ以降も福岡を含むツアーやらレコーディングやらが入っていたが、明日と明後日だけは奇跡的にスケジュールが空いていた。

翌21日の朝、とにかく福岡に帰った。通夜と告別式の日取りを決めなくてはならない。
僕の弟はパイロットをやっているので、彼のフライト・スケジュールとも合わせなくてはいけない。
しかしうまいこと弟も2日間休みがとれ、その日通夜、翌日告別式と決定。

僕と父はルックスも性格もまるで違った。
行き当たりバッタリの僕とは対照的に用意周到な父。
ノリで物事を決めちゃう僕に対して沈着冷静な父。
(父は手放しで賛成することは少ないが、あたまから否定することは絶対になかった)
僕は本当はけっこう短気だったりするのだが、激怒している父は一度も見た事が無い。

そんな父が全く元気だった16年前に書いた、自分の葬式の覚え書きが少し前に見つかった時も驚いた。
通夜の形式、死亡時に連絡する所、葬儀は無宗教で本名で行ない(戒名不要)、小会場でよい、献花と音楽、挨拶〜真理か?(俺指名されてる!)
等が記され、そして最後に「お別れの言葉」まで!!!ひぇ〜〜〜。

あまりに親父らしく、どこか面白いのでコピーをとって持ち帰ったのを東京を発つ前夜思い出しバッグに入れて来た。

その覚え書きが役にたった。
親父の指定通り長年務めていたアサヒビールに電話で伝えた。
定年して随分経ってるので、意味ないんじゃないの?
と思っていたら、数時間後にビールが数ケース届けられた。
おかげさまでお通夜の飲み物はそろった。
音楽は僕のインストアルバム『風の吹く場所』、遺影に使ったのは数年前に弟の操縦するコックピットで撮った親父の写真。
そして急な式にもかかわらず、葬儀社の人が驚く程たくさんのお花が送られて来た。
無宗教なのでお坊さんもナシ。献花のみ。
僕の挨拶が回って来た、どんなMCより緊張する。
しかし、こう言っては何だが、とてもいい雰囲気の告別式なので、すぐにいつものペースに戻って来た。

そして最後に親父自身が書いた「お別れの言葉」。
「皆様御多忙の中私の告別式にお出でいただき誠に恐縮に存じます。
私は去る平成○年○月○日を以て、皆様と永遠のお別れをいたしました。」
に始まり、親父の生い立ち、14歳の時には両親が病死していた事、
しかも一人っ子だった孤児同然の親父を、親戚やら周りの人が寄ってたかって(親父の言葉によると)助け育ててくれた事等が語られ、
「お世話になった皆様の優しい顔を思い浮かべながら、生前私がいかに幸せな時間を過ごさせて頂いたか、只々感謝申し上げるばかりです」
と続く。
そして感謝の気持ちを綴ったあと、
「それではお忘れ物のないように、気をつけてお帰り下さい、さようなら」
と締める。これには受けている人もいた。
棺の中に横たわっている人の言葉とはとても思えなかった。
「以上、父の『お別れの言葉』を私、長男真理が代読いたしました」
俺の台詞まで書いてある!!!

思うに天涯孤独になりかけた父の人生は、家族を得、仕事を得、友人を得て数年前に美しく完結していたのではないだろうか。
この5年間は僕ら家族が準備出来るまで付き合ってくれてた気がする。
残す者達に悲しみを与えず、風のように旅立って行ったその逝き方は、我が父ながら立派で男らしい逝き方だと思う。

葬儀の翌日、お台場のライブゲスト会場に直行、その翌日はSTB本番。
肉体的には疲れていたが、精神的には浄化された気がして、それぞれの仕事に打ち込めた。
そしてその翌週から『魔法の領域』のレコーディングが始まったのだ。
あり得ない絶妙のタイミングとしか言いようがない。

3月14日は僕の誕生日である、と同時に父が初めて父になった日でもある。

              
               こんな感じでいいかな?父さん。
               
Category: General
Posted by: Masamichi Sugi
ストリングスの皆さん

11月25日、正午前にスタジオに着くと、すでにストリングスの人達はセッテイングに入っていた。
間もなく京田君、嶋田君も現れ指揮者の、はい島さんと打ち合わせが始まった。
(注=はいじまさんの“はい”の字はくさかんむりに配と書きます)

京田君の弦アレンジで、はい島さんの指揮は、『This Feeling』や『君にギターを教えよう』以来だ。
その時もエンジニアは安部徹君(通称ヘッド)でとてもいい感じに録れたのだが、今回何故が安部君めずらしく緊張して前夜眠れなかったそうだ。

ストリングスの皆さんも揃い、スコアの確認も兼ねて部分的に音合わせが始まった。
弦のこすれる音、なめらかに駆け上がって行く動き、感情を揺さぶるフレーズ、、、、もうそれだけで胸に種火がついた感じ。

マイクの位置やリットの感じがだいたい決まると、嶋田君はピアノのブースに、僕はヴォーカルのブースに入った。
僕のブースのガラス越しに隣の嶋田君が見えるのだが、嶋田選手取り憑かれたように練習に入っていて僕のピースサインなど見るどころではなさそう。

何度か通して録音し、コンソールルームに戻ってはスピーカーでプレイバックを聞きながら直しを入れて行く。
ふと見ると、こいちゃん(小泉信彦君)も見学に現れていて楽しそうに観ている。
嶋田、京田、小泉のドリーマーズ歴代キーボーディストが顔を揃えている。
「おぉ!三大キーボーディスト勢揃い!」と僕が言うと、嶋田君が
「そんないいもんじゃないですよ。三大哺乳類ですよ」
三大哺乳類、、、、、たしかに間違ってはいないが、、、。

三大哺乳類の皆さん

しかし生ストリングスの威力は違う、スタジオにいた人みんなが僕と同じように心動かされているのが分かる。
今や種火は大きな炎となって胸を熱くしている。

段々全員の気持ちがひとかたまりになって完成が近づいているのを感じる。
嶋田君は相変わらず、ピアノの鍵盤と譜面しかこの世には存在していない風の、入り込み方をしている。
こちらの方をチラッと見る余裕もないみたい、もしかしたら指揮も見てなかったかも。
それでも僕の歌との間の取り方は、いささかの乱れも迷いもない。
これは長年彼が、杉ミュージックの通訳者として築き上げて来た信頼関係の為せる業だと思う。

何テイク目か、プレイバックを聞きにコンソールルームに向かう時、僕が
「今のはすごく良かったと思います」と言うと、指揮者のはい島さんは
「私はさっきから全部いいと思ってるんですけどねぇ」と嬉しいお言葉。

全員が納得いくテイクが録れて「お疲れ様!」とみんな拍手した。

この曲の京田君のアレンジはいつにも増して素晴らしかった。
後日、森山良子さんのラジオ番組にゲスト出演させていただいた時、この曲のストリングスを聞きながら良子さんは「奇麗ねぇ〜」としみじみ言って下さった。
「はい、アレンジの京田君は良子さんが作詞した、夏川りみさんの『涙そうそう』のアレンジャーですよ」と言えばよかった、と家に帰って気づいた。

あの日ついた種火はずっと消えずにいる。

おつかれさまでした!
 
Category: General
Posted by: Masamichi Sugi


いつも歌詞のアイデアやフレーズはラッキー(うちの愛犬)を散歩させてる時に浮かぶことが多い。

今回も「長い影の向こうにある、まだ見ぬ明日が待ちきれなくて〜」という部分も、
長く伸びた自分の影を見て言葉にした。

その他にも、散歩しながらいろんな事を思い出した。
中学生の頃、初めてドロップの自転車(今は死語?)を買ってもらって、
自由を手に入れた気がして、とある日曜日地図も持たず大田区の家から渋谷を目指してひたすら走った事。
いきなり視界が開けたのは、道玄坂の上に出た時だった。
そこから見えた渋谷の街は、手塚治虫の漫画に出て来るような未来都市そのものだった。
当時の夏の渋谷の事を思い出す時、何故か映画『ふるえて眠れ』のテーマでパティペイジが歌った『ハッシュ・ハッシュ・スウィート・シャーロット』の美しいメロディが頭の中で流れる。
実際にはそのスリラー映画は観ていないのだが。

あの頃は家族も友達も学校も自転車も、ずっとずっと変わらない姿でそこに有るものだと疑わなかった。

「友達だったあの犬となら、どこにでも行けた」という部分は、昔飼っていた犬のこともあるが、うちの息子がいつの日かラッキーの事を想うであろう気持ちで書いた。自分の事のように思えた。


レコーディングの前日に京田君からオケの自宅デモがパソコンに送られて来た。
それに合わせて僕も自宅で仮歌を録ってみた。
お恥ずかしい話だが、途中で胸にこみ上げるものがあって歌えなくなってしまった。こんな事は滅多にないのだが。

須藤薫さんとのユニット用に書いた曲で、音楽からしばらく離れてしまっていた人達に歌った『君の物語』という曲があるが、今レコーディングしようとしているこの曲は『僕の物語』なのだ。


 
Category: General
Posted by: Masamichi Sugi
11月25日、『僕らの日々』のコーラスと並んで、ベーシックトラック最後の録音曲である『あの夏の少年』のレコーディングが行なわれた。

この曲は元々は2005年に大学の後輩である写真家HABU(羽部恒雄)の個展用に作った初のインストアルバム『風の吹く場所』に収められている曲である。
小泉君と一緒に作ったこのアルバム、『世界の中心』以外はすべて書き下ろし曲。
結構どれも気に入っているが、なかでもチェロがメロディを奏でる『あの夏の少年』はいつか歌詞をつけて歌いたいと思っていた。

今回レコーディングが進み全体像が見えて来た時、ふとこの曲のことを思い出した。
「浮くかな」とか「歌詞書けるかな」とか「曲数多いかな」とかの不安は日に日に消え、この曲しかないような気がして来た。

この曲は生のストリングスで録音したい、そうだ、ここんとこブレバタや堀ちえみちゃん、金宇宙君等で久々仕事した京田誠一君にアレンジを頼もう、
そんな考えが浮かんだ。
この曲の最初のアレンジ(インスト・バージョン)を手がけた小泉君に一応相談してみた。
「京田さん、いいんじゃないですか」と言ってくれたので、さっそく京田ちゃまに連絡をとってスケジュールをねじ込んでもらった。

これでミュージシャン的にもオールスター勢揃いだぞ、と思ったある日、
待てよ、嶋田陽一君が抜けてるじゃないか!そう気づいた。
80年代、長い間ドリーマーズは嶋田&京田のツイン・キーボードでツアーをまわった。その後もこの二人は僕のレコーディング・アレンジャーとして数々の素晴らしい仕事をしてくれた。
京田君のアレンジで嶋田君のピアノ、これで最後のピースがそろう。

Category: General
Posted by: Masamichi Sugi
オケを録った翌日の11月25日、即コーラスダビングが行なわれた。
メンバーはもちろん、竹内まりや&安部恭弘(通称アベ・マリヤ)。

まずは僕を含めた三人でアイデアを出し合う。
こんな感じ、あんな感じとか言い合っているとアマチュア時代を思い出す。
昔と違う所と言ったら、それぞれのスタッフや関係者が遠巻きに、僕らのやり取りや冗談を楽しそうに見ている事くらい。
僕ら三人はあの頃と全く変わらない、気心の知れた音楽小僧達に戻っていた。

まず1番の「♪銀杏並木〜」の下ハモをまりやに、
ちなみに僕がデビューした時の『Guts』という雑誌の特集で、大学の銀杏並木をすれ違う写真のエキストラ女子大生は在籍中のまりやだった。
2番の「♪夢の数は〜」の下ハモは安部君に、ここは男の歌詞だし。
一度は就職した安部君が僕に電話してきて「僕も音楽やりたいんだけどなぁ」と告げ、僕は「やれば〜」と答えた30年前を思い出した。
3番の「♪久しぶりにみんなして歌おうよ〜」はその歌詞どおり三人でハモることにした。

次にAメロに絡むコーラス。
考えて来た裏メロに、まりやが「♪We were young, We had hope~は?」
『いいねぇ、そのあとウ〜ウ〜ときて、、、』
「例えば We always sang this melody~ 」
『sangは歌いづらそうだから、、、、We used to sing this melodyは?』
「We used to 、それだ!」
こんなふうにキャッチボールしていくと、段々ボールのスピードが速くなって来る。

さっそくアベ・マリヤはスタジオに入って歌いだす。
「安部君、Hopeの発音に気をつけてね」
『まりやちゃん、最後の伸ばし合わせて』
「すいませ〜〜〜ん」
なんか二人はコーラス漫才始めてる。
コンソールルームにいるスタッフも大受けしてる。
やり取りに僕もこちらからトークバックで加わる。
ホントに昔のまんま、ただみんなあの頃より格段に上手いのだ(あたりまえっちゃぁ、あたりまえだが)。

大サビのコーラスはちょっと大変だった。
昔スウィングルス・シンガースというクラシックの名曲を♪ダバダ〜 と
スキャットだけで歌うグループがいたが、そんな感じも出したかった。
本来は僕らの得意分野じゃないが、そこをあえてクラシックごっこみたいな事をやっちゃうお茶目さがPopsには必要なのだ。

最後の♪ウ〜は僕も加わり『Help』のエンディングみたいに6thの和音。
後日、平井夏美さんのコーラスとケッチャンのパーカッション、それに
僕がうちでプログラミングしてきた鐘の音を加え完成した。

今回この曲をこのメンバーでレコーディングして思った事は、音楽に対する姿勢や好奇心はみんな変わっていないという事。
そしてそれを表現するスキルはアップしたみたい。
ようやくそんなお歳頃になれたのかしら、あたい達。

この日、作業終了後はピザをデリバリーして大勢でワイワイ、ガヤガヤ。
僕らの日々はまだ続いている。
 
Category: General
Posted by: Masamichi Sugi
実はお母さんにソックリ

曲が出来上がりレコーディングのタイムリミットも迫って来た11月24日、
メンバーとスタジオのスケジュールがとれた。

本来ならレッド・ストライプス全員に参加してもらいたい所だったが、皆のスケジュールを合わせている時間的余裕もないし、全員が活躍出来る曲調でもないので抜粋メンバーでレコーディングすることにした。

ドラムは青山純。
今や押しも押されぬ日本のトップドラマーの一人であるが、彼とはこの世界で一番付き合いが長い。
三十数年前、僕が大学生の頃、銀座ヤマハのスタジオで「えらい上手いドラマーがいる」と紹介された彼はまだ十代だった。
噂通りメチャ上手い彼はライブやデモテープ作りに参加してくれ親しくなった。
そんなある日、青山純が彼のお母さんに「杉真理って書いてスギマサミチって読む人がいるんだよ」と話したところ、「お兄ちゃん(青山純の兄)の同級生にたしか、そんな名前の人いたよ!」と言うではないか。
アルバムを出して見たら青山純と兄貴、そして僕が一緒に写っているではないか。

そうなのだ、驚くべき事にさかのぼること四十数年前、大田区の池雪小学校時代、僕と青山純の兄貴(青山啓)は親友で、僕の住む団地によく弟をつれて遊びに来ていたのだ。
僕がビートルズの『涙の乗車券』をしつこくかけてたら啓(兄)は「変な歌〜!」と鼻で笑い、純(弟)はポカ〜ンとしてた事もあった。
僕も青山家によく遊びに行った。生まれて初めてグラタンを御馳走になったのも青山家だった。

「嘘でしょ!あの青山の弟の純なの?」
『あのよく野球やった杉君なの?』
「生まれて初めてグラタン食べたの君んちだよ」
『あんとき杉君いたんだ!』
そうとは知らず一緒に音楽やってたなんて。
「啓はどうしてる?」
『あれからずっとビートルズ狂だよ』

世の中には不思議な事がある。
特に僕はシンクロニシティ男だとこの一件で分かった。


話は長くなったが、そんな音楽のオの字も知らない小学生の頃からの知り合いで、今もお互い音楽を続けている青山純と久々にスタジオに入る。
青山純のタイコでアマチュアっぽく仕上げる、というコンセプトを告げると「いいねぇ〜」と彼。

だからベースとギターは僕、ピアノはレッド・ストライプスのメンバーで
シンガーソングライターの安部恭弘君。(スライドギターは橋本哲君に弾いてもらったが)

せ〜の、で演奏を始める。なんかホントにアマチュア時代を思い出す。
いきなり青山純はいい音させてる。ほとんど最初のテイクからOKっぽい。
オカズのいくつかをスネア中心に変えてもらい3テイク録ったらもうお疲れ様。
自己申告してやり直しをしようとする僕と安部君に向かって
「あんまり上手くなり過ぎちゃダメだよ!」
と、大昔僕んちで兄貴と取っ組み合いの喧嘩してた、かつての小学二年生が言った。


 
Category: General
Posted by: Masamichi Sugi
今回のアルバム、気が付けば僕の30周年の集大成的になりつつある。
ここまで来たらデビューの時のRed Stripesで一曲レコーディングしたくなった。
とはいっても締め切りがせまっている、勢いで作るしかない。
そうだ、僕にとっての重要人物、平井夏美さん、竹内まりや、この二人と
共作しよう!
そう思って作った曲を平井さんのところへ持って行き、大サビを付けてもらった。

平井夏美さん(本名は川原さん)は僕をデビューさせた人で、『雨の日のバースデー』『Don't Stop The Music』『This Magic Moment』等の共作者
でもあり、僕の作曲の師匠でもある。
なんせBeatlesに関しては僕より詳しい。

で、出来た曲をうちでデモにし、まりやに歌詞を書いてもらうべく送った。
まりやとは学生時代からの付き合いで、人への提供曲で共作したことはあるが、自分達の曲でがっぷり四つの共作はしたことがなかった。
共作って楽しいばっかりじゃない、お互い自分の主張もし合わなければならないのでプチ衝突があったりもする。
なぁなぁで共作するとレベルの低い作品しか生まれて来ない。

デモを聴いたまりやから連絡が来た
「とても素敵な曲だけれど、果たして私に歌詞がかけるかなぁ」
『大丈夫だよ、僕の後ろの音楽の神様はまりやに任せなさいって言ってる』
 俺って調子いい。
「締め切りはいつ?」
『う〜ん、言えない(あまりにも間近で)』
「わかった、トライしてみる」、いい妹分だ。

数日後届いた歌詞は『僕らの日々』というタイトルで、本当に僕らの学生時代の事をうたった素晴らしいものだった。
さっそく彼女に電話してお礼を言い、いくつか注文をつけた。
そのいくつかにはOKしてもらったが、いくつかでは頑として譲らないまりやがいた。
僕もしつこく食い下がったが、彼女の意思は固かった(言葉は優しいが)。
大学時代、単位を落としたって言っちゃあ泣いてた女の子がこんなに成長したのか、と思うと「兄ちゃんは嬉しいよ」と寅さん的な感慨があった。

よ〜く考えたら僕は自分の曲で他の人の書いた歌詞は2曲しかない。
『Do You Feel Me』は松本隆さんの映画『微熱少年』の挿入歌であるので、
松本さんの世界を僕が歌わせてもらっている。
『ぼくのOKUSAN』はCMが先だったし一倉宏さんの歌詞も僕の世界とダブるところもあり抵抗なかった。
しかし今回は純然たる僕が歌う曲を僕以外の人の歌詞で歌うという事だったので、かなり拘っている自分がいた。

まりやと電話を切った後、気になって抵抗した部分を何度も歌ってみた。
ほんとに何度も。
すると不思議な事に歌う度に、その部分がしっくりしてきた。
最後にはその表現じゃなきゃダメだと感じるようになって来た。
思えばまりやには先輩風吹かせて随分失礼な事を言ってしまった。
せっかく竹内まりやに頼んで彼女らしい詞を書いてくれたのに、自分のフィールドで処理しようとしてたもう一人の自分がいるのが分かった。
こいつはかなりの頑固者で、こいつが頑に信念をガードしてくれたお陰で僕は今までやって来られたのかもしれない。
このガードマンの扉を開かせられたのは、まりやじゃなかったら無理だったかもしれない。

翌日「昨日は失礼な注文ばっかしてスイマセン」と詫びのメールを出すと、
羽田に向かう彼女から返事が来た。
「こちらこそ、かたくなな作詞家ですみません。今、レインボウブリッジからの眺めが最高に素敵!」
ほんとうに良く出来た妹分だ。



 
Category: General
Posted by: Masamichi Sugi
きかせておくれ〜♪

ダビングの日々は続く。

堂島君との共作2曲にリードヴォーカルを入れた。
この2曲とも歌いだしは堂島君であるが、ツルッといいテイクが録れた。

『君のParadise』の後半、みんなで♪Shalala~ って歌うところに、二人で賑やかしにフェイクを入れようと思いつき、僕と堂島君二人はブースに入り
「Wo~oh~oh~」だとか「デュルル〜」だとか「ウ〜ム」だとか思いつくまま歌った。

この曲が日の目を見れて嬉しいな、しかも僕のアルバムに入るなんて。
譲ってくれた堂島君に感謝です。
写真は堂島君とラスク、タイトルは「堂島君らすく」(訛ってます)。


数日後、もう一方の共作曲『Good News』の間奏にニュース風MCを入れる事にした。
今回のレコーディング・コーディネイター渡辺さんのツテでMeri Neeser
さんというモデルやナレーションをなさっている美しい方に、キャスター風で喋ってもらった。
彼女はフランスと日本のハーフで英語も仏語もOKなのだ、日本語はたどたどしいけど。

内容は、あり得ないようなGood Newsということで
「宿題、残業が禁止になりました」とか
「火星に格安で行ける温泉旅館が登場しました」とか
「食べれば食べるほど痩せるトンカツが開発されました」とか
の案が出たが、それはみなGood News というより単に僕の願望という事で却下。
結局「世界各国の首脳がバンドを組んで、コンテストに出場しました」という記事を英語で喋ってもらった。「惜しくも参加賞しかもらえませんでした」というオマケ付きで。
もうひとつは海外のドッキリカメラ的な番組なんかでよくある、ニュースキャスターが番組中にプロポーズするっていうアレ。
アレの女性版を企てた。
美人キャスターが番組中に「私にプロポーズしてくれた○○、今答えを言うわ。あなたを愛してるの!」と告白するのだ、しかもフランス語で。
ここで重要なのは、○○はマサミチでなくてはならない。(堂島君ゴメン)
そして「愛してる」は「ジュテーム」と言ってもらわなくては困る。

そう、おフランスの人に「ジュテーム」なんて言われた事ないし、これからだって言われるチャンスないだろう。
これで大学を辞める要因となった仏語へのコンプレックスも解消される。
僕にとって非常にGood News なのだ。

Je vous aime, Masamichi...ってキャ〜♪


又数日後にはサントリィ坂本(サンちゃん)の自宅スタジオで『Welcome Home』のピアノをダビングした。
彼らしい転がるピアノが入って、この曲の酒場度がグッと増した。
うっかり演奏中のスナップを撮り忘れたので、その後に行った台湾料理屋で老酒を抱えたサンちゃんの写真しか残っていない。

こんなんでスイマセン